リンクのご依頼ありがとうございました。
早速リンクさせていただきました。
2010/02/12(Fri) 13:24:06 [ No.71 ]
有難うございます。山紫会や応援団についで3番目とは光栄ですが益々気恥ずかしくなってきました。
ところで前回のメールに2点、あやしいところが有りましたので、とりあえずお知らせしておきます。
1、岩澤健吉博士が桐生の出身であることは数学者で知らない人はいないくらい有名ですが、桐生中学の卒業生かどうかは確認しておりません。中学生の頃だったでしょうか、東大助教授時代に1度、帰桐され(実家は今の市役所あたりにあった広大な織物工場で直径数メートルもある総レンガ造りの煙突が記憶に残っています)どこかの主催で講演をされたという記事を桐生タイムスで読んだことがあります。40年ほど前に、桐生の実家を処分して浦和に住んでおられたお兄さんに一度お会いしたことがありますが、その後の消息はわかりません。健吉氏自身は、渡米前、鎌倉の材木座海岸に住んでおられたそうです。
岩澤家の次男が大秀才であることは当時、“どこそこの誰が”にやたら詳しかった祖母からもきいたことがあります。
いずれにしても桐生の生んだ世界の大数学者であり、物理学でいえば湯川秀樹以上の偉人です。
この会の対象ではないかも知れませんが、ぜひとも桐生市の名誉市民に推薦したいと思っています。
“どこそこの誰が”で思い出しましたが、祖母から聞いた話をもう一つ。
「森さんちの○男坊も困ったもんだねー。京都帝大まで出たのにキノコなんかに夢中になっておかしくなっちゃったらしいよ。」
今でこそ桐生の生んだ偉人として悪口なんぞ言う人は一人もいないと思いますが、当時の桐生の“良家のご婦人がた”のあいだでは白い目で見られていましたし、森さんのお母さんご自身も、がっかりしておられたようです。
そんな周囲の目には、まったく“目”もくれずにひたすら信念を貫かれた森喜作さんの偉大さを桐高の後輩たちに知ってほしいと思います。
因みに10年ほど前、妻と一緒に格安のパックツアーで九州1周のバス旅行に参加した際、バスが大分県の臼杵地方に差し掛かったとき、ガイド嬢が、京大生森喜作と貧しいキノコ採りの母娘の物語を始め、九州の小学生で森喜作と桐生の名を知らない子供はいない・・・と言ったのには感動しました。
大学教員時代に重慶工商大学から私の研究室に来ていた若い講師から、中国の小学生で東北帝大と藤野先生の名を知らない子供はいませんと言われたときと同じ感動でした。
一応、日本嫌いで通っている江沢民が来日のおり、東北大学医学部の階段教室をたずね、その昔、いつも魯迅が腰掛けていたという席に座って「中国人でこの席に座りたいと思わないものはいない・・・」と言ったことを思い出しました。
2、ご案内いただいたお手紙の差出人は確か、木本富雄様だったと思いますが、寄贈図書一覧には、同じ34年卒の木元富雄
という著者名が載っています。これは筆名なのでしょうか。
私の間違いでしたらお詫び申し上げます。
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蛇足ながら付け加えさせっていただきますが、この種のサイトは、中身が濃ければ濃いほどアクセスが少ないものです。私も大学の講義内容を外部に公開してきましたが、14年経っても1万数千件にしか達せず、それもほとんどが必修科目のレポート提出のためです。
しかし、年に数件は、“これは”と思うメールが来ることがあります。上記の中国人講師などもその例です。外国人だからといって日本語がわからないと思ったら大間違いです。世界中のどこかに桐生高校の“何か”に惹かれてやってくる若者がきっといます。
それまで、何年でも待ちましょう。
2010/02/14(Sun) 13:54:43 [ No.72 ]