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桐高同窓会なんでも掲示板

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◆ 高校野球県予選で敗れた農二応援団より 投稿者:  引用する 
県予選準々決勝で桐高を破り、甲子園に進出した農大二高の応援団OBの方が言っていたのでこの欄を借りてお伝えします。

応援団長が女の所なんかに負けちゃいらんねぇ、と甘く見ていたけど桐高のリーダーは切れがあって圏内でもトップクラスのリーダーを見せてもらった。後輩を桐高まで飛ばしたけど「思ったより本格的でウチが負けるかも知れません」といれた。
終了後、桐高の応援団長が直々に桐高の、そして桐高がそれまで破ってきた高校の千羽鶴を託してきた。桐高の想いを込めた千羽鶴を、とうとう甲子園まで持って行く事が出来る。

とのことです。もし、応援団長(もはや先代、になるのかな?)にお伝えできましたらお願い致します。

ちなみに、その方の言うことには「農二の応援団員が隠れて桐高の団長のメルアドを手に入れることは無いと思うが、自分が欲しかった(^_^;)」とのことです。

2009/08/01(Sat) 00:59 [ No.23 ]
◇ Re: 高校野球県予選で敗れた農二応援団より 投稿者: ホームページ  引用する 
私が一昨年11月、急性大動脈解離でたおれるまで講義していた東京情報大学は、東京農業大学が榎本武揚の創立以来100周年を記念して創立したもので同じ学校法人『東京農業大学』に所属し、兄弟校として交流しています。農二からは、毎年、何人かの生徒が受験してくれますが、残念ながら知名度が低いので桐高からはほとんど応募がありません。
現在の桐高のレベルがそんなに高いのならご同慶の至りですが、ホームページで過去数年間の進路状況を見る限り、それほどでもないと思います。ぜひ私が現役時代に使っていたホームページを先生方や生徒の皆さんに見ていただき、一人でも応募してくれればと思います。
私も病気で退職しましたが、学長以下みんな親しい方々ばかりですので、もし桐高から応募する生徒がいれば“強力に”推薦させていただきます。

【2010/02/21(Sun) 15:35:38 投稿者により修正されました。】

2010/02/20(Sat) 21:16:08 [ No.73 ]

◆ 50年間ご無沙汰しました。 投稿者: ホームページ  引用する 
桐生高校同窓会の皆様
木本様

私は、昭和33年卒業の関口と申します。
関口と言ってもあの合唱部や応援部で活躍していた格好のいい関口君ではなく2浪してやっと東大に滑り込んだ格好悪い関口(益照)の方です。

卒業以来、これまで一度も同窓会に出たことがなく大変忸怩たる思いでおりましたが、一昨年の11月、何の前触れもなく急性大動脈解離という危険な病気を発症し、10時間におよぶ手術の後、4ヶ月間の入院生活を余儀なくされました。おかげでこの1年間は恩師や友人たちにも音信不通の状態が続き大変迷惑をかけてしまいました。

1年たって漸く少し元気が出てきたので、何時死んでも良いようにと身辺整理をはじめたところ貴殿からOB図書館構想の葉書が届いていたのに気がつきました。
はじめ、OB図書館を飾るのは、日本人で最初にプリンストン大学教授になられた故岩澤健吉さんや森産業の森喜作さんのような一流の方々だけだろうと思って、そうなれなかった自分の不勉強をなげくだけでしたが、そのうちハッと気がつきました。
桐高の後輩たちにとって、先輩の中に上記の方々のような超一流の人物がいるというのは何ものにも代えがたい宝物でしょうが、同時に多くの後輩たちにとって、一流をめざしながら能力不足や努力不足、あるいは不運のためそうなれなかった先輩が残した著作や論文もかえって励みになるのではないか、と思ったのです。

というわけで恥を省みず拙著(共著書、論文)を別便にて送らせていただきます。

著書   いずれも富士通&富士通総研時代の啓蒙書です。
     「エレクトロマネー」(有斐閣)
     「ポスト第3次オンと銀行SIS」(金融財政事情研究会)
     「情報技術がマネーを変える」(富士通総研)

論文   いずれも地方の時代を提唱した論文です。
      私の高校時代からの夢は「わたらせ広域連合都市」の実現でした。
     「競争的広域行政機構による郷土の再興」(第10回高橋亀吉記念賞受賞)
     「情報技術の進歩と都市概念の変容」(都市問題研究会)

追伸
今の時代に紙だけでは若い人たちに読まれないのではないでしょうか。
京都大学の山中教授の論文ですらネット上の学会誌で発表される時代です。
さりとてネットだけでは軽すぎるのも事実です。
そこで同窓会図書館も クリック& モルタル で行ったらどうでしょうか。
とりあえずは、OBの開設している固めのサイト(同窓会で審査?)のリンク集を載せるなどを提案したいと思います。
まずは、隗より始めよ の故事にならって私のホームページを見ていただき、忌憚のないご感想をいただければ幸いです。

追伸2
桐高同窓会のホームページを見たら既にOBリンクの表示が有りましたので早速申し込み手続きを済ませました。それにしても今のところいかにも少ないですね。

【2010/02/12(Fri) 00:42:28 投稿者により修正されました。】


2010/02/12(Fri) 00:37:18 [ No.69 ]
◇ リンクいたしました 投稿者:同窓会事務局 HP管理人  引用する 
リンクのご依頼ありがとうございました。
早速リンクさせていただきました。

2010/02/12(Fri) 13:24:06 [ No.71 ]
◇ Re: リンクいたしました 投稿者:  引用する 
有難うございます。山紫会や応援団についで3番目とは光栄ですが益々気恥ずかしくなってきました。

ところで前回のメールに2点、あやしいところが有りましたので、とりあえずお知らせしておきます。

1、岩澤健吉博士が桐生の出身であることは数学者で知らない人はいないくらい有名ですが、桐生中学の卒業生かどうかは確認しておりません。中学生の頃だったでしょうか、東大助教授時代に1度、帰桐され(実家は今の市役所あたりにあった広大な織物工場で直径数メートルもある総レンガ造りの煙突が記憶に残っています)どこかの主催で講演をされたという記事を桐生タイムスで読んだことがあります。40年ほど前に、桐生の実家を処分して浦和に住んでおられたお兄さんに一度お会いしたことがありますが、その後の消息はわかりません。健吉氏自身は、渡米前、鎌倉の材木座海岸に住んでおられたそうです。
岩澤家の次男が大秀才であることは当時、“どこそこの誰が”にやたら詳しかった祖母からもきいたことがあります。
いずれにしても桐生の生んだ世界の大数学者であり、物理学でいえば湯川秀樹以上の偉人です。
この会の対象ではないかも知れませんが、ぜひとも桐生市の名誉市民に推薦したいと思っています。

“どこそこの誰が”で思い出しましたが、祖母から聞いた話をもう一つ。
「森さんちの○男坊も困ったもんだねー。京都帝大まで出たのにキノコなんかに夢中になっておかしくなっちゃったらしいよ。」
今でこそ桐生の生んだ偉人として悪口なんぞ言う人は一人もいないと思いますが、当時の桐生の“良家のご婦人がた”のあいだでは白い目で見られていましたし、森さんのお母さんご自身も、がっかりしておられたようです。
そんな周囲の目には、まったく“目”もくれずにひたすら信念を貫かれた森喜作さんの偉大さを桐高の後輩たちに知ってほしいと思います。
因みに10年ほど前、妻と一緒に格安のパックツアーで九州1周のバス旅行に参加した際、バスが大分県の臼杵地方に差し掛かったとき、ガイド嬢が、京大生森喜作と貧しいキノコ採りの母娘の物語を始め、九州の小学生で森喜作と桐生の名を知らない子供はいない・・・と言ったのには感動しました。
大学教員時代に重慶工商大学から私の研究室に来ていた若い講師から、中国の小学生で東北帝大と藤野先生の名を知らない子供はいませんと言われたときと同じ感動でした。
一応、日本嫌いで通っている江沢民が来日のおり、東北大学医学部の階段教室をたずね、その昔、いつも魯迅が腰掛けていたという席に座って「中国人でこの席に座りたいと思わないものはいない・・・」と言ったことを思い出しました。

2、ご案内いただいたお手紙の差出人は確か、木本富雄様だったと思いますが、寄贈図書一覧には、同じ34年卒の木元富雄
という著者名が載っています。これは筆名なのでしょうか。
私の間違いでしたらお詫び申し上げます。

******
蛇足ながら付け加えさせっていただきますが、この種のサイトは、中身が濃ければ濃いほどアクセスが少ないものです。私も大学の講義内容を外部に公開してきましたが、14年経っても1万数千件にしか達せず、それもほとんどが必修科目のレポート提出のためです。
しかし、年に数件は、“これは”と思うメールが来ることがあります。上記の中国人講師などもその例です。外国人だからといって日本語がわからないと思ったら大間違いです。世界中のどこかに桐生高校の“何か”に惹かれてやってくる若者がきっといます。
それまで、何年でも待ちましょう。

2010/02/14(Sun) 13:54:43 [ No.72 ]

◆ カスリーン台風 投稿者:木本  引用する 
刊行委員 木本メモ帳より

昭和22(1947)年9月16日(火)
   
 9月13日,潮岬の南海上を発達しながら北上し、15日(月)東海道沖に達した。
その後関東地方沿岸部を通過し、翌16日関東の東海上に抜けた。
この台風で、県内死者592名、行方不明者107名を出す未曾有の被害となった。
前橋では387.4mm、桐生では370.0mmであった。県内では山地一帯の土石流、
そして洪水による被害であった(「群馬県の気象百年」より)。
 桐生では、渡良瀬川と桐生川が氾濫、堤防決壊、死者113人、行方不明者33人、
負傷者167人、流失家屋350戸、床上浸水4,929戸、被災者は全市民の63.5%の
約58,000人、被害総額は9億4000万円で、当時の市の予算総額の二年分に相当した。
このなか、桐生中学校、樹徳高等女学校の被害甚大、新川運動場は壊滅的打撃を受けた
(「ふるさと桐生のあゆみ」より)。
 藤倉喜代丸は「午後五時十分まで野村校長と共に備品を机の上にあげ、戸締まり、
職員生徒の退去完了、新川の美原橋を渡って帰った。」
 その日、当直の坂東勇は 
80年史   491〜492 そのまま載せる
野村校長の話 494    そのまま載せる
生徒の話も16日(火)の事に関しては そのまま載せる

* 米軍の航空写真 だめなら 略図を書き 浸水 倒壊箇所を明記
* 被害状況の数字は、29年合併する川内・相生・梅田村の数字が
  入っているかどうかは、後に確認する必要あり。
  例えば川内村では8人の死者あり。

17日から後片付けが始まった。
一週間余りで校舎内のヘドロを校庭に運び出す。その後、安田達夫(24高卒)は、
校庭の泥の山を一人で黙々と校外に担ぎ出し、教室内の掃除を続けた。
そのうち協力者が現れ、その熱意は「全校を動かした」(人脈)。
校長野村は感銘し、卒業式で安田に特別賞を贈ったという。

30日には チブスの予防注射
10/7 桐高女の生徒が校庭整備のため応援 前には小学生も来てくれた
11/7 3日間 復興祭を挙行した。
この頃になり漸く落ち着いたのであろう。

 復旧工事は、23年の4月に校舎の一部復旧、南北校舎を繋ぐ渡り廊下増築。
25年8月に体育館、
26年1月講堂、
27年10月正門・土手等修築され、およそ5年がかりであったが、
講堂は水害の影響がひどく東西のコンクリートの土台が傾斜し始めていることが判明、
県当局はその修理負担を全額できないとのことで、26年10月24日、総額24万円弱の内、
学校側が10万円程度調達せざるを得ず、保護者に対し拠出金のお願いをすることとなった。
一口百円、出来たら二口以上のお願いであった。(5月1日の在校生数 1048名)

 桐生市は、戦争中空襲による被害はほとんど無かったのだが、22年カスリーン台風、
23年8月アイオン台風、24年8月末、キティ台風と連続三年台風に見舞われ大きな被害を受けた。

*生徒の一部では、罹災者救済の募金活動を17日から始め、10月3日、南小学校で行われた
 罹災者同盟結成大会には、義捐金16,042円77銭を手渡したという。
 (7月の東京白米10kgの小売価格で 約161kg分。11月だと約107kg分に相当する)
*足尾線通学生が、授業開始の連絡を受けたのは、9月28日、上神梅〜大間々間は不通で
 バス輸送であった。客車が運行されたのは、10月17日、全線開通は、10月22日であった。
*桐工では 教職員の被害状況 生徒並びに生徒の家庭の被害状況が、50年史に記載されている。
 例えば 負傷生徒2名 家族を失った生徒11名。
 また、全校生徒約一ヶ月間 弁当、スコップ持参で各町会へ配属され、復旧工事に従事したとある。
  太中では人的被害、校地校舎の被害はなかったが、教職員全員が登校できるまで10日余りかかっている。

桐中に関しては、多分多くの教職員、生徒にかかわり、被害、生活への支障が出ていたことであろう。
但し、具体的資料はない。
松尾八郎教諭の自宅は床上浸水、弟達は押入の上段で寝る始末で、先生は、一週間あまり学校の
宿直室で寝泊まりしたという。また家の片づけには、何人もの生徒が手助けに来てくれたという。

2009/10/13(Tue) 16:53:19 [ No.64 ]

◆ 小倉様 投稿者:園田  引用する 
今回の台風では思ったほど被害はありませんでした
本町どうりの店舗で何軒かシャッターが壊れたと聞きましたがその程度みたいですよ
桐生はほんとに天災の少ないところ見たいですね
いいところですね     49年卒 園田

2009/10/10(Sat) 08:08:36 [ No.62 ]
◇ Re: 小倉様 投稿者:おぐら  引用する 
ありがとうございます。

同期や、後輩に電話やメールで聞いた処
被害はないとのことで安心していましたが、
シャッターが壊れたとは、風が強かったのですね。

2009/10/12(Mon) 17:14:30 [ No.63 ]

◆ 台風18号 投稿者:おぐら  引用する 
みなさん、お元気ですか?

私は、愛知県に住んでいます。
昨日朝、5時頃、雨風が止み、青空が見えました。
台風の目に入ったのは、初めての経験です。
幸い私の家は、門扉がこわれた程度ですみました。

その後、群馬を通過していきましたが、
母校、そして、桐生地区在住の皆様はご無事でしょうか?

昭和45年卒  小倉

2009/10/09(Fri) 14:05:20 [ No.61 ]

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