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みなさん、お元気ですか?
私は、愛知県に住んでいます。 昨日朝、5時頃、雨風が止み、青空が見えました。 台風の目に入ったのは、初めての経験です。 幸い私の家は、門扉がこわれた程度ですみました。 その後、群馬を通過していきましたが、 母校、そして、桐生地区在住の皆様はご無事でしょうか? 昭和45年卒 小倉 2009/10/09(Fri) 14:05:20 [ No.61 ] |
9月26日(土)の桐生タイムスに「山口晃」氏による、NHK「ようこそ先輩」の録画
収録が行われた記事がありました。 「しまった!」と非常に残念でした。山口氏は、本校昭和63年卒で、現在新進・若手? で嘱望されている画家です。今年の夏も、同窓会に絵を寄贈された52年卒の市川君や 桐生在住のM君と話した時にも山口氏の話が出ました。 そこで、小生、今度はその山口氏の絵を小品でも良いから同窓会に寄贈して貰えれば良い ねえと話をしたのですが、勿論面識もなく、簡単に先輩面して申し込むわけにも (そんなことを同窓会から任命されてやっているわけではありませんー誤解なく) いかないので、何か会えるチャンスがあればなあと思っていたわけなので、「しまった」と思ったわけです。 昨年かな? 桐生で、44年卒、スペイン在住の石原彰二君の展覧会に行き、 小生は、彼のクラスの授業は持たなかったので、初対面であったわけですが、 なんか「この なが〜い顔を見た気がする」なんて言われ、暫し昔話に花を咲かせました。 その時は話を切り出さなかったのですが、来年石原君が桐生で個展をやるということなので、 今度は寄贈の話を図々しくしようかなと思っているのですが、もし話が決まっても寄贈は 再来年になってしまうという時間の掛かることなので、もし石原君の悪友がいれば、今の内に 連絡をとり、した話をしておいてくれると有難い。顔だけは私に劣らず図々しい三船敏郎ばり の顔をしているM君には、頼むよとは言っておいたのですがね。 以前学校(同窓会ではない)に寄贈されている47年卒藤谷雅春君の絵を含め、市域で活躍 している若手芸術関係OBの作品も提供してもらい桐高OB若手芸術家作品展と称することが、 老いつつある小生の一つの楽しみであり、夢でもあります。 もちろん、その時は、同窓会の主催で出来れば良いのですが、考えようによっては、有志個人 で持ち上げた方が良いとも思います。何故かと言いますと、 組織、即ち同窓会という組織でやると、恐らく本部役員の方々は全面賛成、必要な経費の補助 などもやってくれると確信していますが、必ず、月日は、会場は、経費は、宣伝方法は、若手とは 何歳までだとか、他の同窓生の催しものとのバランスは等々、ご批判やややこしい注文が出てくる 可能性があり、その中での、しつこい嫌な意見などの対応におわれる担当者が出てくるのです。 それを思うと有志個人でやってしまった方が楽しく、気持ちよく出来るわけです。 頭だけは、小生より立派な風貌のA君やK君に、お前やれや!なんて言っているところあります。 小生、現在、100年誌の編纂・刊行の仕事に携わり始めたところですが これも同じことですね。手弁当で、文房具代だけ頂き、桐生はもとより前橋や大胡、足利等に 何十回と行っていますが、組織である同窓会でやり始めると必ず、正しいか正しくないかは 別として批判者やいらぬお世話や無い物ねだりを言う、しかも今は、ネットで直接ぶつけられて くる時代である。 ただ、2万数千人の同窓生のなかで、ほんの僅かな数とは思いますが、この一年半で少なくとも 100人以上の、90歳から20歳後半までの先輩・後輩の皆さんと、会ったり電話で話したり 手紙でやりとりしてきましたが、丁寧に自らの体験に基づきアドバイスしてくれたり、直接頼んだ わけでもないのですが、あちこち同級生を訪ねた結果の情報を提供してくれたり、実に感謝感激の 日々であります。同窓生とはいえほとんど面識のない先輩、後輩ですが、手紙一つ、電話一本で、 玄関でこんにちはと言って顔を合わせただけで、すぐに ああだよ こうだよと話が弾んでしまうのであります。これが、資料・情報集めの醍醐味であります。 同窓会は、小生の老後の過ごし方に 実に良い提案をしてくれたと、感謝している次第です。 しかし、中には、極めて礼儀、節度を心得ない方、いや考え方が違うのでしょうね、こうした、 ゆる〜い組織・団体でも、いちいち不躾に物言いする人もいます。直接面と向かっていわれるならまだ 良いのですが、そうでないと、しゃくにさわりますねぇ。そうしますと、何もそんな仕事に無理に携わ ることはない、桐高の歴史の一面を書いてみたいという気持ちを持っているので、自分で調べ、自分で 書き自分の負担で冊子をつくり、身近な人に寄贈すればよいわけですから、貰った文房具代を返還し、 全く自由な立場で研究・執筆・本作りした方が、遙かに長生きできそうであります。 昨今、パソコン大流行でパソコンがなければ生きて行けないような風潮であります。同窓会も、 同窓生の楽しい、温かい交流や情報交換ができるようにとの思いで、書き込み欄とか言う物を作った のでしょう。それは良いことであると思います。 しかし、この半年の間、その使用状態をみると、使用されているとは言い難い状態であります。 また、その内容についても、主張などが、同窓会組織の会計や事業に係わることが多く、同窓生は もとより同窓生ではない一般の方々がみたとしても、少し首をかしげたくなり、誤解も生ずるおそれ の内容であります。小生等、老老生活をしている者にとっては、家のことや、自分の属している組織 の内部事情に係わることは、普通、穏やかに電話や手紙を通してまずは尋ねたりしたものですが、 今や最初からパソコン上に言葉が飛び交ってしまうのであります。若い人はそれで良いのでしょうが、 年寄りからみると理解できない、とけとげしい時代であります。 その結果、同窓会の書き込み欄に興味をもっておられる同窓生も、現状のような、書き込み欄に、 敢えて関係を持たず、自分達が喜んで書き込みをいれる場所では無いと思い始めているかも知れません。 さすれば、同窓会書き込み欄は、衰退の一歩を辿っていくことでしょう。誠に残念なことであります。 もしかすると、関係する情報が出ているかも知れない。楽しい思い出話がでているかも知れないと思い、 時には同窓会の書き込み欄をみたくなるような常識と節度をもった書き込み欄にしていただきたいと、思います。 言いたい放題の書き込みやらは、自分の属する同級生なり仲間のネット上でてめえはアホだ 馬鹿だ、 全部しゃべっちゃえとか 大いにじゃれたり、傷口を嘗め合えばよい。だれも止めはしません。 昔、昭和47年から創刊された生徒会誌「山紫」、その各組、ホームルームのページは、酷い物でしたね。 冗談とはいえ、随分教師が肴にされ、上げたり下げられたりしました。勿論キラリと光るジョークや表現も ありましたが、逆に生徒自身の酒・煙草……の話なども多くありましたが、あくまでも校内での配布で、 多くの教師やそれを見た保護者も「遊びの一種」として容認し、生徒は「桐高の自由」と錯覚し作って いましたが、幸いに生徒会誌事件などは一件も有りませんでした。 しかし、同窓会の書き込み欄は、大人の方々の書き込み欄で、同窓生とはいえ昔の生徒会誌と同じと 勘違いしないような配慮が、同窓会書き込み欄設置の当然の前提条件として、いちいち言葉にしなくても 文句にしなくても、当たり前のことと思います。また、この同窓会の書き込み欄がなくても、同窓会活動は 充分活動できますし、刊行委員の立場からいっても、全く困りません。 小生は、関係者から頂いたこの書き込み欄のコピーを家族にも見せております。「お父さん」「お爺ちゃん」 「こんなことに係わるのであれば、止めてよ」と老妻や嫁は言います。最近、昼間は独居老人状態ですので、 老妻や嫁が仕事先から時たま電話をくれます。夜は戸締まりを厳しくチェックしています。 なんといっても、最近パソコンで相手にしている方が、きれいなねえちゃんに、会って話したいなあ というような意味合いの書き込みをしたり、「檻の中」「檻の中から出たい、でるぞ」なんて言っている方だと、 家族も知り、心配しているわけですが、元来、単純で気性の激しい小生、「ふざけるな、一度与えられた仕事を 投げ出すわけにはいかねえんだ」と、怒鳴っております。 こうして考えますと、大事の前の小事、場合によっては、同窓会長様の英断が必要かも知れません。 以上、老人のたわごとを申し上げました。これが、誰でも見られるパソコンに載るということは、極めて残念 ですが、仕方有りません。ご容赦を。 ぜひ、みんなで同窓会掲示板のイメージを作り替えていこうではありませんか。まず 手始めに、今までの 投稿した個人、団体の方はまず遠慮していただき、 「誰々だけど、元気に仕事しているよ」 「この前 誰々にあったよ」 「あの本書いたのは 同窓だって」とか、書き込み欄に書いてください。 ニュー同窓会掲示板のトップバッターになってください。明日無くても明後日なくても一週間なくても、 10日間なくても、じっと待つのです、この待つことが大切なのです。いくらこの掲示板を見るひとが 少ない状態でも、必ず 誰か一言書き込んでくれるでしょう。それをせかず騒がず待ちましょう。 さあ、明日からが楽しみであります。いちいちコピーを貰わねば、見られぬ 時代遅れの老人ですが、なんとか閲覧する努力を致します。 34年卒 木本富雄 2009/09/29(Tue) 17:19:21 [ No.60 ] |
校歌山紫に3番がある、いや、本当は現在の2番が3番でその前に「幻の2番」があるのは知る人ぞ知る、である。終戦までは3番まであった。ただ、当時の2番が天皇崇拝の内容だったため、敗戦と友に抜け落ちてしまった。その辺の事情は仕方ないことだと思う。
100年誌編纂の場合は是非ともその辺の事情を詳しく述べて貰いたい。上から(例えばGHQとか、県の教育委員会とか)の命令だったのか、桐高(当時桐中)の学校当局(教職員や校長)の判断だったのか、PTAの動きだったのか、生徒の動きだったのか、その辺の事情を正確に残すのは今が最後である。これまでの校史にどの程度の記述があるか分からない。しかし、以前の校史編纂の時期と今とは時代も違う。新しい発見があるやもしれないし、当時は話せなかったが、ということもあるかもしれない。いずれにしろ時代の証人が現存する間に時代に翻弄される校歌の真実を残して欲しい。 それと共にまさに「時代に翻弄された」校歌を私は不憫に思う。校歌が出来た時は「3番まであっての校歌」であったはず。そして校歌自身にはなんの責任も無かったはず。それなのに分断され、「最初から無かったこと」にされてしまった校歌に涙を禁じ得ない。 私は別に天皇崇拝信者ではない。だが、「時代にそぐわないから」と最初から無かったことにする事はある意味卑怯である。最初はあったのだ。あったが、「時代のせいで」歌われなくなった。それを態度で示したい。 1.在校生に校歌2番の存在を教えて欲しい。 2.卒業アルバムなどにちゃんと3番まで掲載をして欲しい。 3.出来なければ中途半端なことをせずに新しい校歌を作って欲しい。それくらいの覚悟をもって対処して貰いたい、 4.その上で「旧2番」は歌わないことを宣言する。 こうやることが校歌に対しての尊敬の念だと思う。誇りだと思う。 面倒くさいことは蓋を開けたくない、触らぬ神に祟りなし、という態度は桐高生としてそぐわない。 応援団などはこの扱いをどう定義しているのだろう? 応援団でもたんに「無かったこと」にしているのだろうか? 2009/09/16(Wed) 00:44 [ No.43 ]
応援団における認識
桐高の校歌は、現在の、2番までと認識しています。 幻の2番が存在した事は、私自身、卒業後に知りましたが、 後輩にそれを教える事は、考えた事もありません。 2009/09/16(Wed) 13:51 [ No.44 ]
そうですか。
そうですよね、それが一般的な意見でしょうね。 でもね、校歌に魂が存在するとしたら(私は魂が存在すると思っているのですが) 身体の1/3を削り取られ、最初からそんなものないものとして処理され、忘れ去られている状況に 悔しさを禁じ得ません。 せめて痕跡だけでも残しておくれよ、 せめて葬式を出して墓場を作ってくれよ、ってなもんです。 アナクロでしょうか? 私は在学中も卒業してからも嬉しいにつけ悲しいにつけ 一人で校歌を口ずさみながら過ごしてきました。 30年以上も。 異常な愛着ですよね。 異常な卒業生だと思ってこの欄を見学している人は哀れんでください。 でも、私は「失われた校歌」の墓場を建てたい。 2009/09/16(Wed) 21:23 [ No.45 ]
校歌についての返信が
「質問掲示板」の100年史についての質問の返信に 書かれています、どうぞご覧ください。 http://www.kiritaka-dousoukai.com/situmonbbs/wforum.cgi?no=77& ..... de=msgview 2009/09/24(Thu) 13:35:37 [ No.55 ] |
同窓会総会と同時に行われる同窓生作品展において
どこか一角にでも「生徒会誌 山紫」や「図書館紙 汗牛」なども展示してもらいたい。 私は「山紫 第五号」編集を手がけたが、それを読んだらもの凄く面白いと思ったと共に、今の「山紫」はどんなだろう?と考えた。 歴代のものが並んであれば昔懐かしの人も手を取るだろう。 さらに、大切なのはこうして一年に一度出すことで「資料保存、失われた資料発掘」に役立つと思うからである。 このような紙媒体のものは失われたら二度と出てこないこともある。だからこそ今から保存処置をしっかりとしておかなければならないと思う。 2009/07/08(Wed) 20:32 [ No.21 ] |
盛況で終わりました。
来年は私たち51年組です。 来年7月3日です。 澤田、頑張ってくれ\(^o^)/ 今年の総括、50年組のどなたか、やって頂けませんか? 2009/06/28(Sun) 17:33 [ No.17 ] |