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講演する紀 信邦 氏
【紀 信邦氏略歴】 |
昭和45年 桐生西中卒 |
昭和48年 桐生高校卒
京都大学理学部数学科入学 |
昭和52年 三菱総合研究所入所 |
昭和56年 UNIXソフトハウス・シニック設立 |
平成10年 日本エンジェルス・フォーラムの
活動開始 |
平成11年 日本エンジェスト・インベスメント
株式会社設立に参画、今日に至る |
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東京農工大学客員教授(現)
京都大学・東京大学・東京農工大学・工学院大学非常勤講師
JIS原案作成委員ほか政府系委員会委員
未踏ソフトウェア創業事業プロダクトマネージャー
中小ITベンチャー支援事業プロダクトマネージャー |
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『エスパーと起業家とエンジェルと』
日本エンジェルズ・フォーラム理事
紀信 邦 氏(昭和48年卒)
定期総会後の講演会では、日本エンジェルズ・フォーラム理事を務める、昭和48年卒の紀信邦氏が、「エスパーと起業家とエンジェルと」 というユニ-クな演題で講演を行った。
紀氏は、司会の浅野亘司(昭和48年卒)による講師紹介の後、シルクホールのステージに吊り下げられたスクリーン上に、パワーポイントを使って写真等を映し出し、話をすすめた。氏は国際的に見て「日本の高校生は、意欲は充分にもっている」と指摘し、そして、演題の言葉を順次説明していった。
まず、「エスパー」については、「経済産業省の事業で発掘された、ソフトウエア開発の天才の候補になった人、あるいは天才と認定された人のこと」で、自分たちは「天才候補者の発掘と、その人物に日本の未来を背負って立つ産業をつくってもらうことを目的に支援」していると延べ、「事業名の頭文字がESP」となることから、「私がエスパーと命名した」と説明した。 次に「起業家」については、「ベンチャー企業の経営者たちとの出会いとすれ違い」、「事業家として成功した人・失敗した人」 について自論を展開した。例えば、ビル・ゲイツと対面したが、その成功は「時代に合わせて製品戦略を転換」 したことにある。「最初に一人の天才がいるからといっても会社が大きくなるとは限らない」 と言い、また、孫正義との対面では「年上の人を顧問に迎えて政界・財界へ根回ししていった」ことが成功の理由。「事業としては話があわなかったが経営者としてのセンスは尊敬できる」とした。 |
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